世界遺産コトルおすすめ観光スポットや名所は?散策と山からの絶景は最高!

※このページは2009年に約2ヶ月間の旅日記を加筆修正したものです。

2017年の宿代や交通費は若干上昇しております。

【Mr.フリーマンの旅中毒日記23】

 

前回の世界遺産コトルの夜は下記リンクへ。

モンテネグロのコトルでお酒が飲めるバーやクラブはあるの?営業時間は何時まで?

 

 

⽼婆の宿をチェックアウトしたはいいものの、歩けども歩けども 宿が⾒つからない。

 

既に炎天下の中で⼀時間が経過。

 

すぐに⾒つかると思った⾃分がバカだった。

 

東南アジアとは違ってここでは誰も声をかけて来ない。

 

疲れ果て結局もとの宿に戻ることに。

 

⽼婆に⾝振り⼿振りで同じ部屋に泊めてくれと⾔うもまったく伝 わらず、その代わりにさっきまでチェコ⼈がいたツインルームを ⽤意される。

 

しかも13ユーロと2ユーロ安い。

 

『ツインはいいんだけど、また今夜知らない男と寝るんだったら ホアンの⽅がいいんだけどなぁ〜』

 

『ホアンはもう既に外出中だからおばあちゃんと言葉通じないし。。。』

 

そんな俺の思いなど伝わるはずもなく、結局ツインルームにチェ ックイン。

 

すると待ってましたとばかりにまたキスをしろと両⼿を広げてき てジュパッ 

 

『こんな⽂化いらないっす(︔-_-)』

 

⽼婆との熱い抱擁も終え、汚れた体︖を洗い流すべく早速ビーチ へ。

 

ここコトル旧市街の前にはメチャクチャ綺麗な海がある。

 

本当は⼀番綺麗なビーチに⾏きたいんだけど、貴重品があるので 敢えて誰もいないところに⾏き泳いでみるが、これが結構冷たい。

 

それにほとんど塩分がなくて、もしかすると湖だったのかも︖と思ったくらいだ。

 

体を冷やした後はゆっくりと城内観光。

 

城内中⼼部にある⼩さな教会。

 

古めかしさが威厳を醸し出している。

 

 

普通に人が住んでいます。

 

下水道がないのは地下にあるからなのかな?

 

新鮮な⿂も並んでます。

 

 

メチャクチャまずくて⾼かったハンバーガー(完全に観光地化さ れてる)

 

よく考えたらハンバーガーってアメリカ発なんだよね。

 

なんでこんなところで買っちゃんたんだろ(笑)

 

城外から⼭を眺める。

 

海と山の天然要塞に囲まれたコトルは絶景です!

 

⼣⽅、⽇没近くから城壁を登ることに。

 

頂上まで40分⾜らずだ ったけど、⽔を忘れたため地獄を⾒ました。

 

でも頂上からの眺め は最⾼︕

 

ここを訪れたら必ず登ろう︕

 

 

⼊り⼝付近の写真。

 

万⾥の頂上もそうだったけど、こんな所に⼈なんか⼊ってこれないだろう︕というような絶壁に壁が作られて町全体を囲んでいる。

 

という事はある意味で当時の治安の悪さも伺える。

 

イギリスから朝鮮半島まであった街壁。

 

関ヶ原の戦いや長篠の合戦など、街を破壊しないよう敢えて避けて戦をしていた武士には考えられない文化だ。

 

それにしてもよくこんな絶壁から攻めてきたよなー。

 

 

道の途中にまで協会が建てられている。

 

監視塔の役目もしていたのだろう。

 

 

教会の辺りまで来ると景⾊がよくなってきた。

 

まだまだ頂上は遠い。

 

 

ようやく頂上が見えてきた!

 

 

 

そしてついに頂上へ。

 

モンテネグロの旗のある絶壁に⽴つオース トラリア⼈・・・

 

と思ったら2メートル程下に⾜場があったのだった(笑)。

 

ホアンとの語らい

 

砦から帰ってきた後、町で唯⼀のスーパーに向かっている途中にビールを袋に詰めて歩いてくるホアンに遭遇。

 

⽇が暮れた公園で下⼿なバンドを前に⼀緒に飲むことに(とは⾔っても俺は酒が 駄⽬なのでコーラで)。

 

男性でも⼥性でも⽩⼈はいつも⽇本の⽂化に興味津々。

 

そして俺が⻑崎出⾝だと⾔うと必ず原爆の話になる。

 

ホアンも同じように質問をしてきたので⾃然と原爆の話に。

 

『何⼈死んだのか︖』

 

『街はもう⼤丈夫なのか︖』

 

はっきり⾔って今までに出会って話した⽩⼈やブラジル⼈はまった くと⾔っていいほど原爆についての知識がなかった。

 

まじめな顔して『まだサムライはいるのか︖』、なーんて聞いてくる んじゃ仕⽅ないか(笑)

 

⼤学で歴史や哲学を重要視する⻄欧⼈でもこの程度。

 

彼らにとって日本は未だ遠い異国の地である。

 

ちなみにホアンは⼤学で政治学を勉強中だ。

 

ホアンに原爆で被爆した⼈やハシゴの影が壁に焼きついて残っているといくら説明しても的を得ない。

 

下⼿な英語で何度も説明すると、⽬を丸くして

 

『お前それは本当か︕︕』

 

と驚きのあまり笑っていた。

 

ちなみに俺の両親とその家族は被爆地から遠かったが全員被爆している。

 

⺟親は5歳でほんとんど覚えておらず、空襲警報がなったので防空壕に入ったものの、『おしっこ~』といって外に出た瞬間に爆発。

 

12歳だった父親は落ちてくるパラシュートを取ろうと追いかけていた。

 

データを収集するためパラシュートに測定器を付けて落とされていたのだ。

 

当時は化学繊維などなく、⼀番強度の⾼い繊維だったシルクでパラシュートは作られていた。

 

そのシ ルクを⼿に⼊れるべく追いかけた俺のオヤジは突然『ピカッ︕』 と光ったと思ったら、とてつもない爆⾳で腰を抜かしたそうな (笑)。

 

運良く⼩⾼い⼭向こうにいたので直接被爆する事はなかったが、 晩年200以上の⾎圧に悩まされ、くも膜下出⾎で倒れたので何か原爆と関係があるのかも知れない(ただの高血圧だったりして)。

 

ちなみに⺟親の⺟⽅は89歳で急性⽩⾎病でなくなるなど、年齢からは考えられない病気で亡くなっている。

 

ホアンと話は弾み下⼿なバンドも聞き飽きたので、おしゃれなジャズが聴けるバーへ移動。

 

 

その道すがらお⾦を恵んでくれとねだる⼥の⼦に遭遇(1ユーロをあげる)。

 

こんなに真っ暗になってるのに物乞い少女がいるということは治安の良さを物語っている。

 

移動後、またもホアンから質問が。

 

『⽇本語には英語で訳せない⾔葉がたくさんあると聞いたが本当 か︖』

 

と聞いてきたので本当だと答えると、

 

『例えばどんな⾔葉があるのか︖』

 

『エスキモーでは⼀年中雪に囲 まれているので⽩を表現する⾔葉がたくさんある。そんな感じの ⽇本の⾔葉を教えてくれ。』

 

さすがにエスキモーの⽩には負けるが、⽇本語の⻘には「若い」 とか「経験不⾜」の意味があると教えると、たったそれだけの事に物凄く喜んでくれた。

 

そして話は盛り上がり、あっという間に深夜1時。

 

予定通り⾳楽 はピタッと⽌み会計をするが、1回⽬の会計と2回⽬の会計は全 く同じ物を頼んだのに値段が違う(笑)

 

でもそんなところがこの国 の魅⼒、”まあいっか”と⼆⼈笑いながら部屋に戻る。

 

その途中、ホアンが『お前の部屋にはゲルハットがいるかも よ︖』と⾔ってくるので、お返しに『じゃぁ、お前の部屋はオカマだよ』と⾔ったが無事⼆⼈の部屋には誰もいなかった。

 

翌朝、別れの挨拶。

 

ホアンに『俺と寝た事を彼⼥に伝えろよ』と⾔い、ホアンも笑いながら快諾。

 

⽼婆とも最後の熱いキスをし、惜しみながらクロアチアのドゥブロブニクへ向かうことにした。

つづく