ボスニア・モスタルでの安宿やドミトリーの探し方!観光名所や見どころも

※このページは2009年に約2ヶ月間の旅日記を加筆修正したものです。

2017年の宿代や交通費は若干上昇しております。

【Mr.フリーマンの旅中毒日記25】

 

前回のドゥブロブニク街探索については下記リンクへ!

ドゥブロブニクおすすめ観光スポットや名所は?民家安宿宿泊料金について

 

 

 

クロアチアの猫はみすぼらしい。

 

 

でも旧市街を歩いていると、丸々と太った飼い猫を発⾒。

 

猫にも格差社会か。。。

 

思わずパシャリと⼀枚撮る。

 

 

 

ついでにもう⼀枚と思いカメラを向けると、あからさまに不機嫌顔。

 

 

 

 

そして突然の猫パンチ︕

 

 

 

不覚にもやられました(´;ω;`)

 

 

ドゥブロブニクからボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルへ

 

 

トルコのイスタンブールをバスで出発し、ブルガリア-マケドニア-アルバニア-モンテネグロ-クロアチアと渡り、今⽇はボスニア・ヘルツェゴビナ

のモスタル(モスタル)へと向かう。

 

 

モスタルはイタリアの東にある、わずか10万人ほどが暮らす小さな街。

 

 

 

 

ここまでの国での共通点は⾯⽩い事にバスの休憩時間。

 

運転⼿が、「10 minutes for toilet(10分だけトイレ休憩)」と⾔うのだが、

 

必ず30分は休憩 る。

 

英語が通じない運転⼿の時は、英語を話せる⼈に聞いたり したがやはり10分。

 

どうやらこの国々での10分は30分らしい。

 

 

 

モスタルのバス停に着くと、呼び込みのオッちゃんに連れられ てドミトリーにチェックイン。

 

 

ガイドブックを持っていなかったので部屋探しをどうしようかと心配だったが、全く心配なかった。

 

 

でも客はどうやら俺1⼈だけみたい。

 

 

ここモスタルは1990年代のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の 激戦区。

 

 

だがここに来るまでそんな事など全く知らず、

 

 

町中のあちこちに 銃弾の後が残っている事に驚かされる。

 

 

 

宿のオッちゃんに連れられて歩いている途中にも、沢⼭の銃弾の 跡があったのだが、

 

 

 

その時は全く気が付かずただついて⾏くだ け。

 

 

それとなしにオッちゃんに当時の事を聞くと、運良くオーストラ リアにいたので難を逃れたんだとか。

 

 

でも当時の事はみんな⼝を開きたがらないと⾔う。

 

 

そういえば戦争に⾏った俺の爺さんも、

 

 

戦場の事については⼀⾔も語らず、いつも朝⽇新聞と⾚旗を⽋かさずに読んでいた。

 

 

その新聞の意味が幼い⾃分には分かるはずもなく、爺さんに尋ね るもハッキリとした答えはかえって来なかった事を良く覚えてい る。

 

 

 

ここモスタルはボスニアの南部に位置し、半⽇もあれば歩いて 全てを⾒廻れる程の⼩さい町。

 

 

町のメインの名所は⻄側に架けられたアーチ型の橋。

 

 

戦争後、⼀度橋を取り壊し今の橋が改めて架けられている。

 

 

 

滞在中の3⽇間全て、地元の男性が観光客のために橋の上から⾶ び込んでいた。

 

 

 

 

透き通った美しい川から橋を眺める。

 

 

 

 

バス停から橋へ⾏く途中には沢⼭のお⼟産屋が建ち並ぶ。

 

 

 

町の中には幾つもの共同墓地。

 

 

この墓地に眠っている殆どの⼈は 1993年に亡くなっている。

 

 

 

僅か20歳で亡くなった⻘年。

 

 

そういえば長崎の墓石には、原爆が投下された8月9日に亡くなった人の名前が多い。

 

 

 

めっちゃキレイな川なんだけど、泳ぎたかったがあまりの冷たさに諦める。

 

⽇が沈むと⼀気に涼しくなる 宿に戻ると屋上に可愛らしいテラスがあった。

 

 

昼間は休みながら 歩かないといけない程の暑さだったのに、夜は冷たい⾵が吹き付 けてTシャツ⼀枚では寒いくらい。

 

 

どうやらここは⾼原かな︖

 

 

しばし空に輝く沢⼭の星空を眺め、何処からかやって来る無線 LANで友⼈にメールをし、その夜は眠りに付いた。

 

つづく